愛する人の死を乗り越えるために

愛する人の死を乗り越えるために

  

愛する人の死にどう向き合うか

現代社会では、死は否定的に捉えられ、なるべくなら隠されるようになりました。
私たちは愛する人の死についてどう向き合えばいいのでしょうか。
ここででは、

 

  • 死は人間にとって究極の体験?
  • 肉体の死と、人間としての死
  • 愛する人の死を受け入れるために
  • 亡くなった人とつながる・話す

 

について考えていきます。

更新日:29.1.8

現代における死

死が嫌われる文化

他界した、旅立った、息を引き取った、逝去した
喪中につき〇〇を控えます。

 

現在、言葉でもなるべく「死」を使わないように、直截な表現はしないように配慮されます。

 

現代の日本では死は悲しいものでしかありません。

 

しかし、インドやネイティブインディアンでは死はこの世の苦しみが解放されるものであり、
文化によっては家族の死をお祝いすることもあります。

 

死ぬことによって先に亡くなった愛する人に会える、神のもとに帰ることができるからです。

 

現代の日本ではちょっと理解できない感覚だと思います。

 

 

死は隠されるようになった

昔は、人の死は家族の中で起こり、村の中で扱われるものでした。
ほとんどの人が自宅で亡くなりました。
愛する人の肉体と過ごしました。

 

ですが、今は多くの人(8割ほど)が病院など家庭以外で亡くなります。
病院などでは亡くなる前には個室に移され周りには伏せられます。

 

今は、葬儀という形で葬儀屋さんに任せます。
家族ですら愛する人は棺桶に入れられ距離が置かれます。
葬儀中は遺影が飾られ、亡骸はきれいに整えられます。

 

 

死だけでなく、老化も嫌われますね。
いつまでも美しくありたいと思う。

 

死も老化も否定期にとらえられ、価値はおかれないはずもありません。

 

 

肉体の死と、人間としての死

死は人間にとって究極の体験?

でも、死は人間が経験するものとしてもっとも重要なものではないかとも言われます。
愛情、思いやり、失うことで愛する人とのつながりを増す機会ともとらえらえるからです。
死は究極の失うこと。
死に直面した本人も、死を間近にした人に接する人も、お互いの気持ちに思いをはせ、寄り添い、話を中心から聞き、真心が開かれます。
別れる悲しみを共有し、同情し、やさしくすることを自然にします。

 

なぜ今まで家族と、愛する人とのつながりを本当の意味で持てなかったのだろうと後悔するかもしれません。
それは苦しいかもしれませんが、そんな学びをした人は他人を許したり受け入れたりする幅が広がり、人として魂の成長を経験するのだと思います。

 

死は、亡くなる人もそれを見届ける人にとっても魂の成長を促す機会なだと思います。

 

 

愛する人の死を受け入れるために

  • 愛するパートナーの死
  • 愛する赤ちゃん、子供の死
  • 愛する両親、親族の死
  • 愛する友人、同僚、地域の人々の死

 

しかも、寿命ではない。
突然の死は受け入れがたいですよね。

 

  • 肉体の死は、愛する人の死ではない。
  • 愛する人はこの世から先に卒業しただけで、あの世でも、来世でも再会できる。
  • そもそも、このタイミングでこの世で別れることは申し合わせをしてきている。

 

このようなことが言われ、筆者はそんなものだろうなと思っています。

 

肉体は魂の乗り物であって、私たちそのものではない。
愛する人の肉体も乗り物でしかなく、愛する人そのものではない。

 

 

最近、元同僚が亡くなり、葬儀に参列しました。
葬儀の後、献花の際に棺桶が開かれ彼の肉体を初めて見ることができましたが、それは明らかに抜け殻でした。
彼の存在のエネルギーは葬儀会場の前方に強く感じていました。
それは空間に広がったもので、会場前列に座った彼のパートナー・娘さん、親族を包む広さでした。
その彼の中心に棺桶・肉体は位置していたのに、肉体にはあまりにも何もないようで驚きました。

 

やはり、肉体は私たちにとって一時的な乗り物でしかないのだろうなと思った次第です。

 

 

亡くなった人とつながる・話す

亡くなった人と交信できる人が

 

交信してみると愛する人が

 

  • 私たちを温かく見守っていること
  • 現世でその人が体験した運命は初めから知っていた、今は思い出し理解していること
  • 先にあの世に帰って現世での疲れをいやしたり、役割があってそれを果たしたり、次の生まれ変わりの準備をしていたりと、あの世はあの世なりにやることがあること
  • あまりに思ってくれるのはかえって迷惑だと言われたり(亡くなった人に怒られることが本当にあります)

 

といったことを教えてくれたりします。

 

亡くなった人との交信といえば、“イタコの口寄せ”が有名ですね。
青森県の恐山の夏と秋の大祭で、一般の人でもイタコの方々に口寄せをお願いできます。

 

予約などはありませんが、朝からイタコ小屋に並べばその日のうちには口寄せしてもらえると思います。
費用は数千円とか5千円程度です。

 

恐山まで行くのはなかなか大変ですが、
“梓弓”というイタコ専門の電話占いサイトがあり、こちらも数千円で本物のイタコに相談することができます。

 

また、イタコに限らず、死者と交信できる霊能者であれば同じように相談できます。

 

例えば、電話占いヴェルニは、イタコ専門というわけではありませんが、イタコと同じようにあの世、アカシックレコード、死者と交信できる霊能者が多数そろっています。

 

ヴェルニのいいところは、無料で登録でき、10分少々であれば初回は無料で相談できること。
通話料も無料なので初心者向きだと思います。

 

ヴェルニを含めた初回無料相談が可能な電話占いサイトをこちらで比較しています。

 

  

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